kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

ヨハネの黙示録

私は新約聖書の終わりにある「ヨハネの黙示録」は誰か一人の人間が死んでいくときに経験する精神的現象のことだと理解しました。

仏教に「チベット死者の書」というものがありますが同じようなものだと思われる。「チベット死者の書」はふたつあるそうですがその一つをざっと読んだことがあります。黙示録と同じ様におどろおどろしいというか奇怪な表現や内容に満ちており、言葉は違っても何か似ているという感じでした。

七つの教会というのは心臓などの体の七つの部分を示しているのではないでしょうか。

大乗仏教は唯心論でありどの人間の霊魂の奥底にも神が存在し外界の現象はその神の精神であると言ってますから、小宇宙である一人の人間が黙示録のような現象を経験してもおかしくないと言えます。頭をぶつけた時は星が飛び散りますし。

贖われた14万4千人というのも個人の一生で救われた迷いの霊と考えれば不思議ではありません。キリストも肉体は神殿であり、あらゆる国民の祈りの家と言っています。

額に刻印を押すとありますが、たとえば美しい景色を見て魂が浄化された時はその景色が額に刻まれたという感じがしませんか。その他にも印象深い経験をした時は額のあたりで感じ取ったという気がします。

それとキリストも終わりの時について直接言ってますよね。おどろおどろしい表現で説明すると共に、「その時は誰も知らない」と言いまた「だからあなた方は注意していなさい」とも言っています。キリストともあろう人が千年後2千年後に起こることに「あなた方は注意していなさい」と言うでしょうか。

誰もが必ず死ぬしその時がいつかはわからないのだから、世の終わりとは死のことだと考えればぴったりです。