kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

統治者を神の子とするのはなぜか

前回アイヌ民族大乗仏教も地上に生きる者はどれもが神の変化身であると見ていると言いました。だから地上に生きる者は神の子あるいは子としての神であると言えます。

日本の皇室は先祖を天の神として自分達を天孫としていますが、これは人間は親から子、子から孫というふうに伝わっていくので天孫と言うのであって、実際は親子の関係なのだと思われます。一般の人たちも産土神氏神を祖先神として祀りますが氏神と氏子というように親子の関係ですよね。

つまり太古の人たちはみな天の父と母なる大地を知っていたのです。

仏教の一番の特徴は自分という一つの霊魂を一つの霊とは考えないことです。多くの様々な霊(迷いの霊と精霊)から成り立っていると考えます。その霊魂の奥底にいるのが神です。肉体の様々な働きを司っているサムシンググレートです。それが子としての神で様々な霊の統治者です。

したがって天孫降臨、国譲りの話はある一人の人間がこの世に生まれてくる時のことに関して伝わっていた神話を政治の政権交代の話に当てはめ利用したものだというのが私の見解です。天の神が葦原中つ国を覗くと様々な霊がざわめき合っているというような表現がありますよね。大地的な女神的な霊の中の様々な霊のことだと思います。

大国主の話も基本的に同じだと思う。大国が大地的なもの(仏教の摩訶般若)であり、そこの主、統治者を意味しているのです。八十兄弟が出てきて大国主を傷つけようと活動しますよね。いわゆる世俗の実際の話だとしたら異常です。

八十人も兄弟がいてそれがみんな弟に嫌がらせをし、傷つけようとすることが神話として書かれているとは変です。しかも八十という数は本当は膨大な数を意味しているでしょうから、この神話には何か深い意味があるのではないかと推測されます。

八十兄弟を一人の霊魂の中の様々な迷いの霊と考えるとこの神話の意味が理解できます。迷いの霊が悪の方向へと様々に誘惑するのですよね。それに負けないで主として正しく行動するのが霊魂の奥の、子としての神、大国主です。太古の人たちはみな本当の神話を知っていたが言葉で伝わっていくうちに一人の人間の内部の話という点が抜け落ちてしまったのだと思われます。

日本だけでなくどの民族も同じ考えを持っていたことが伺えます。中国も統治者、皇帝を天子と言います。ヨーロッパにも王権神授説があります。キリストの時代もローマ皇帝は神の子とされていたのですよね。太古の人たちは皆一つの霊魂は様々な迷いの霊や精霊、また統治者としての霊から成り立っているということを知っていたことがわかります。

多分アダムとイブが犯した罪により人間は「自分とは何か」を自力で知る能力を失ってしまったのだと思います。