法華経に従地涌出品という章があり、そこには大地の下からおびただしい数の菩薩が出現した様子が書かれています。ブツダはそれらの菩薩をはるかな昔から導いてきたと言います。そしてこれらの菩薩がブツダの滅後に法華経を弘めることを予言します。
私はこの地涌の菩薩を海や川に住む魚たちのことだと理解しました。
四方の大地が振動し、裂けて無数の菩薩が湧きいでたと書いてあります。水面下の世界も地下の世界と言えると思います。水の中を地上の世界とは言いませんよね。
法華経は法華七喩と言われるようなはっきりとしたたとえ話だけでなく、それとなくさり気なく真実を暗示している文章がかなりあると私は考えます。暗喩というのでしょうか。
前に人生の目的や人間の知性を探求した時海の景色やカニ、又夜空の星に現れている神の心を説明しましたが、同じ様に海や川に住む魚にも神の心が示されており、それがこの従地涌出品で暗に秘めて、たくみに説明されているのだと思います。
「たましいは海の彼方からやってくる」の話で海は母胎のようなものと言いましたが、魚はその母胎に宿った胎児を意味しているのだと思う。もうすぐ地上に生まれて菩薩として生きる菩薩予備群とでも言える存在です。生命は海から始まったので鳥や獣よりはるかに修行が長いです。数も、今はだいぶ少なくなったようですがそれでも物凄い数です。
四人の代表的な菩薩がブツダの前に出てきます。上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩。
上行菩薩というのはサンマやサバやイワシのような水面近くで生きている魚、無辺行菩薩はカツオやマグロの様に大海を大移動するような魚、浄行菩薩は清流に住むヤマベ、アユ、ヤマメ、イワナなど、また安立行菩薩とはヒラメやカレイや鮟鱇などの動かずとどまっていることがかなりある魚と考えればぴったりするのではないでしょうか。
私はこの解釈を多分正しいだろうとそれ以後も持ち続けましたが、ある時面白いことに気づきました。
キリスト教で初期クリスチャン達は自分達キリストを信じる者同士を秘密裏に魚、イクトゥスという合図で確認したそうです。このことを知ってなぜ魚にしたのかを調べてみると、ひとつはイエス・キリストの最初の弟子が四人とも漁師だったからというもの。もうひとつはギリシャ語のイクトゥスの文字からというもの。イクトゥスは5つの文字からなっていて、順番にイエス、キリスト、神、子、救い主という単語の頭文字であるので、と説明されていました。
私はこの頭文字の理由は後付だと思う。前にも聖母崇拝のことでちょっと触れましたが、霊的知性に優れた人が「魚という生き物はこれから神の子として地上に生きることになる存在」ということを知っていて魚を示す2本の線を思いついたのではないかと想像しました。イエス・キリストも当然「魚は神の子である」を意識して「人間をとる漁師にしよう」と言ったのだと思われます。