kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

回向 2 人間の本性は慈愛の心か

以前どんな生き物にも神の何らかの思いが込められていると言いました。確かに類によってそれらしさがありますよね。では人間らしさとは何だろうと考えましたがなかなか思い至りませんでした。若い時は文明的な創造が人間の優れた特性と思っていましたが仏教を学んで得た結論により文明的知性は本当の知性ではないと思うようになりましたから人間らしさがもうひとつわかりませんでした。

それが最近どんな自然現象にも慈愛の心で接するのが人間らしさではないかと思うようになりました。理由は二つあってひとつは15年位前に多くの生き物が人なつこいと気づき、それ以来自分が経験したことからの感想。もうひとつは仏教の弥勒菩薩の話から考えて。

法華経の序品などから、人間という種族全体の霊的主体として活動しているのが弥勒菩薩だと考えるようになりました。そして弥勒菩薩は慈氏菩薩とも言います。私はこれを慈愛の心を本質として持つ家柄の菩薩と解釈しました。様々な生き物や自然現象に慈しみの気持ちを抱く、自然を愛しいと思う、自然を愛おしむ心を持つ存在です。

多くの生き物が人懐こいと気づいてからはこちらも彼らに親しみを感ずるようになり、彼らの行動に注意を向けると色々なことがわかり、驚きの連続でした。楽しいというか喜びの気持ちが湧いてきます。

彼らは自分が好意的に見られることを喜ぶだけでなく、人間が他の生き物を興味深く見ていたり、山や川や花など自然現象に見とれていたりするのが嬉しいようです。

ヒヨドリセキレイが鳴きながらすぐ横を飛んで行ったり、スズメが裏返りながら飛んだりとまるで私を祝福してくれたという感じなのです。鳩やカルガモなどにもそういう感じを持ちました。スズメはおどけた仕草をしょっちゅうやりますが、裏返って飛ぶようなことは普通はしないと思う。

また自然の景色だけでなく、たとえばキジの鳴き声が聞こえたのでキジを探し見つけてじっと見ていた時なども他の鳥が喜ぶのです。またムクドリの大群が旋回しながら河原に降りたり舞い上がったりしているのを見ていた時も他の鳥が喜びました。

9月になって少ししたある日、5階の部屋から外を見ると相当の数のツバメが右に左に飛び回っていました。「あっ、これは渡りだな」とすぐ思いました。数年前に同じような光景を見て「何だろう、これは」と思い、その後はツバメを見ることがなく「そうか、あの時ツバメ達はみんなに別れの挨拶をしていたのだ」と知っていたからです。

そして私は窓を開けて手を振りました。「元気でナー、来年また来るんだゾー」という感じで。すると多くのツバメが独特の声をだしながら目の前を行き来しました。「さよならー、春になったらまた来るからねー」とでも言っているのでしょうか?

それでですね、その様子を見ていたほかの鳥が喜ぶのです。その時はヒヨドリが2羽だったか3羽だったか右下の方から目の前を左の上の方へと鳴きながら飛んで行きました。少しして今度はセキレイが地上から鳴きながら真っ直ぐ上に向かって突き上げるように相当高く飛んだのです。私の行為を祝福したのだと思われます。

そして多分、このように喜ぶのは鳥という生き物だけではないと思う。あのときのイタチやハツカネズミは私に親近感を抱いてすぐ近くに来たのではないかと今では思うようになりました。

ある時大きな川の堰堤で腰を下ろしてぼんやりと、見るともなく川を眺めていたら、左の1〜2メートルぐらい離れたところにハツカネズミが後ろの草むらの一角から出てきて、川に向かって両手を広げるようなしぐさをしておじぎをしたのです。何か声を出したような気もします。私の方は見ません。そして後ろの草むらに戻りました。

何だこれはと思いました。私がほとんど動かずに川を見ていたので人がいることに気が付かなかったか、野生化してもハツカネズミだから人間を気にしなかったのだろうと想像しました。そしてですね。少しして今度は私の右の方に出てきてまた同じような仕草をしたのです。あれっと思いましたがその時はペットだからということで済ませました。

これとは別に新緑の頃、渓流の趣きの川の中洲で水の流れや遠くの山々を眺めたりしていました。ふと横を見ると3〜4メートル離れたところにイタチがいたのです。こちらが動くと立ち去ってしまうかもしれないと動かずに見守っていると、どうやら私がいることは知っているようでした。顔をあちこち動かしていましたが少ししてトカゲに気づいたらしく、飛び跳ねながら追いかけまわしまた草むらに入っていきました。

野生の哺乳類は人を避けると思っていたので意外な出来事でした。しかし今ではこの二つの出来事を、私に親しみを感じて安心感を持って出てきたのだと考えています。人間が自然の中でくつろいでいるのを見ると、いいと思い親しみを感じるのではないでしょうか。

同じようなことを体験している人がいます。あるラジオ番組で市民からの便りを紹介していました。若い母親の話です。天気が良かったので幼児を連れて散歩に出た。とても気持ちよかったので草の上に寝転んで空を見ていたら一匹のセキレイがお腹の上に飛び乗ってきたそうです。びっくりしたが、その後も二人のすぐ近くを動き回りしばらくして帰途についたら家の前までついてきたそうです。

その母親は「何で自分たちに親しみを感じたのだろう、不思議だ。ひょっとしたら小さい時に親にはぐれてしまったからか、それで親子が楽しそうにしているのを見て親しみを感じたのかもしれない」と言っていましたが、親の子育ての様子だけでなく寝転んで気持ち良さそうに空を見ている様子が気に入ったのだと思われます。

それから2〜3年経ったころまた同じような話を聞きました。やはり母子で草に寝転んで空を見ていたらスズメがお腹の上に乗ってきてびつくりしたという話です。

またある西洋人ですが、山の中に入って見晴らしのいいところで腰を下ろして景色を眺めていると、後ろから誰かに息をかけられたような気がしたので振り返ってみたらすぐそばに一頭の鹿がいたそうです。逃げるでもなくしばらくそこにいてやがて草むらに消えたそうです。

その後仏教を続けて学んていくうちに、往相回向とはこれだと私は理解しました。(続く