kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

回向 6 千の風になって3

もうひとつ大変驚いたことがあります。

この詩は段々と西洋人の間で評判になり、イギリスである年に最も愛される詩を調査した時この詩が最も愛される詩となったそうです。

キリスト教ではこの詩に通じるような神学は無いはずなのになぜこれほど受け入れられたのか大変に不思議です。

詩の専門家のような人が少しずつ表現を変えて行ったので、一般の多くの人に受け入れられたのでしょうか。いくつかバージョンがあるようですが内容はほぼ同じようですのでその一つを書いてみます。

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私のお墓の前でたたずみ泣かないで

私はそこにいません

眠っていません

 

私は吹きわたる千の風

私は雪の面のダイヤモンドのきらめき

私はたわわな麦畑にそそぐ陽の光

私はやさしい秋の雨

あなたが朝の静けさのなかで目覚めるとき

私は上空へと急旋回する

静かな鳥たちの羽の音

私は夜を照らすやさしい星々

 

私のお墓の前でたたずみ嘆かないで

私はそこにいません

死んでいません

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メアリーの「、、、の中にいます」という表現や後半の四つの句はありませんが内容は元詩とほぼ同じではないでしょうか。これがイギリス人に最も愛された詩とは何とも不思議です。

故人がよみがえっているということではなく、残された人が故人と一体となって想い出を共有しているということなのでしょうか。それにしても不思議です。

しかし最も愛された詩というのですからこの詩には大きな力があるということです。

私はこのことに大きな希望を持ちました。この詩が宗教的真実であることを理解すれば世界が良い方向へと変わっていくのではないか。自然破壊はよみがえった故人の霊を排斥していることになります。今世紀の自然破壊と環境汚染のひどさは何とかしなければと誰もが思うのではないでしょうか。

仏教を学ぶことも一つの方法だがイエス・キリストの教えを新しく解釈することでもこの詩の正しさを理解することが可能ではないだろうか。

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」、雨や雪、鳥や陽の光、みんな人間の言葉とは異なる、神の言葉ではないか。

キリストが言う「多くの良い実を結ぶ」がその時々で出会う様々な自然現象(人間を含む)を愛しいと思うこと。仏教では「平常心是道」などなど強調される。メアリー・フライもよくわかっていたと思われる。

神は、よみがえり、還相回向を星空で示している。この世の生を終えたら星のようなものになる。そして地上に光を送りその光をまとめて太陽が照らし出し、自然現象という神の言葉が現れるということです。だから仏教では十方の諸仏という。キリストもたとえ話で星のようなものになると示していると過去の投稿で説明しました。私見ですが。

キリストは復活のことを聞かれて「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」を示し、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている」と言っています。アブラハム、イサク、ヤコブは生きている、死んでいないと言ってます。メアリー・フライも「死んでなんかいません」と言っている。

「私は道であり、真理であり、命である。私を通してでなければ誰も父のもとに行くことはできない」の「私」はあの時代30年生きたイエスのことだけでなく、様々な自然現象として現れている神の恵みの言葉と考えると仏教の教学と一致する。

また終末の話は私が前に書いたように誰かある個人が死んで行くときに経験する精神現象とは考えられないでしょうか。

とにかく多くの西洋人がメアリーの詩を好きになり称賛したことにより、希望の光がほのかに見えたという思いです。