kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

提婆達多品(だいばだったほん)は悪人成仏てはない

通常、法華経提婆達多品は悪人成仏と女人成仏の話が書かれていると言われています。

大乗仏教は一切衆生悉有仏性ですから悪人も女人もみな成仏するというのはわかります。私が納得できなかったのは、提婆達多釈尊法華経を説いて成仏したという話です。しかも釈尊提婆達多に奴隷のように仕えた挙げ句法華経を説いてもらったとは何か変だなという思いでした。

おそらく単なる悪人成仏の話ではなく、別の納得できる解釈があるはずとあれこれ考えてある結論に至りました。

私の解釈はほぼ間違いないと確信しております。というのは、この提婆達多品は、最初に編纂された法華経にあとから付け加えられたものであって、内容が基本的に見宝塔品と一緒だから見宝塔品の次の章に置かれた、とある本で読んでいたからです。その本とは紀野一義氏著作の法華経に関する文庫本でした。

それで提婆達多品を「解った!」と思った時に、上記のことを思い出して、見宝塔品をもう一度読んてみることにしました。内容が同じかどうか判断できると思って。

そして基本的に同じでした。

提婆達多品に出てくる提婆達多はいわゆる歴史上の提婆達多ではありません。初期大乗の般若経などから法華経に至るまでの間、大乗の教えを説いた人たちのことを、伝統仏教の比丘たちが「ブッダはそんなことを教えていない。お前は反逆者だ! 提婆達多だ!」と非難したのでしょう。

そこで大乗の説法者は「汝らが提婆達多と決めつけている私こそが、釈尊が待ち望んだ者なのである」とこの提婆達多品で言っているのです。ゴータマブッダは完全な真実は示せなかった、もし今この世にいればきっと大乗を求めただろう、との思いで書かれています。

その辺のことを巧みにしかも感動的に表現していると思います。大乗を説いてくれればその人の奴隷になって仕えると言い、「果実をとり、水を汲み、薪を拾い、食事の支度をし、自分の身を寝椅子や腰掛としたりもしたが、身も心もいやになる事はなかった。」と実際に行いました。

この「果実をとり、水を汲み、、、、」などをして仙人(提婆達多)に仕えたという表現は、ゴータマブッダの説いた四諦の教えや、諸行無常諸法無我涅槃寂静三法印や十二支縁起などのことだと思われます。大乗へ進むための準備としての教え、苦痛を取り除くための教え、救急の薬です。ゴータマ釈尊がこれだけ仕えてくれたのでその恩返しで最高の真実である大乗を説いているのだ、というのが大乗説法者の気持ちです。

たとえて言えば師と弟子の関係のようなものかもしれません。師は弟子を熱心に指導し、鍛え上げ、自分を超える存在になれかしと願い(奴隷になって仕え)、弟子の方も懸命に努力して上を目指し、師を超えたいとの思いで修行します。この願いが実現した時は、両者がともに大きな喜びを得ると思われます。師の愛、弟子の報恩感謝。

提婆達多品ではゴータマ釈尊と仙人(大乗説法者)の関係です。

そこで見宝塔品の話です。内容が一緒でしょうか。基本的に同じでした。見宝塔品の多宝如来が歴史上のゴータマ釈尊であり、その多宝如来が称賛した釈迦牟尼世尊提婆達多品の仙人、法華経の説法者です。歴史上の提婆達多ではありません。

多宝如来は「善きかな善きかな釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり。」とたたえました。今は多宝如来となつているゴータマブッダが現れるなら必ずこのように称賛するだろうと言っているのです。

法華経は誰もが成仏すると示しているので、歴史上の提婆達多も成仏したのでしょうが天王如来になったのは彼ではなく大乗の説法者です。

従って法華経提婆達多品はいわゆる悪人成仏ではありません。見宝塔品も提婆達多品も歴史上のゴータマブッダと大乗の説法者との関係が示されているので基本的に内容が一緒であると言われてきたのです。