kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

邪馬台国

最近吉野ヶ里遺跡の石棺墓の公開が注目されているようです。

吉野ヶ里遺跡と言えば邪馬台国の候補地ともされていますよね。邪馬台国が何処にあったかは江戸時代以来未だに議論が続いていますが、私は畿内説です。素人考えですが。

邪馬台国ヤマタイコクではなく、ヤマトーコクが正しいのではないかと思うようになったからです。

中国の史書には「台」の字が二通り使われていてその一つは「臺」です。これを見た時フキノトウのトウが確かこんな字ではなかったかと調べてみたら草冠をつけるとフキノトウのトウになることがわかりました。それで魏の使者がヤマトウと聞いた言葉を漢字にしたこともありうると思ったのです。

それからある時日本のある古い書籍を見ていたら「ヤマト」が万葉仮名で書かれており、ヤマは耶馬でトは、ハッキリとは覚えていないのですが、謄本の謄か沸騰の騰という字でした。これを見てあの頃でも(6世紀頃?)ヤマトではなく、ヤマトウあるいはヤマトーと言っていたのではないかと想像しました。

これが正しいとすると元々はヤマタオから来ているのではないか? 八岐に尾を足したものです。大和は盆地だからあちこちに尾根が枝分かれして見える。それで八岐尾、ヤマタオです。

ヤマタオはヤマトウに自然になるでしょうね。中国のタオ(道)もドウやトウです。

そういうわけで私の見解はヤマタオがヤマトーになり、最後にヤマトになったというものです。

それから数年経った2017年にあるサイトで邪馬台国を解説していてその人達は私と同じようにヤマトウ国と読むのが正しいと主張していました。二つのタイの漢字は「臺」と「壹」でどちらもトウと読めると言っていました。漢字は偏とつくりからなつていて音はつくりから来るそうです。至も豆もトウであるからヤマタイ国ではなくヤマトウ国が正しいと。

確かに到達とか先頭と言います。

もう一つ仮説があります。倭(わ)の国とヤマトは元は別の国だったのではないかというものです。倭の国は九州北部の人達であって、何らかの目的により合併した。2世紀はじめに洛陽に使者を送っていますよね、多くの生口を伴って。新しい国になったからではないでしょうか。

国の名前はヤマトウ国で文字で書くときは「大倭(おおわ)・おおやまとう」後で倭は蔑称なので和に変えて「大和」としたと考えると大和をヤマトと読むことが納得できます。魏志倭人伝と言うように畿内の人達を倭人と言ったのもわかります。