kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

ニライカナイ

では神の霊妙な智慧イデアを知る妙観察智について具体的に説明していきます。私はほんの少しわかっただけなのですが、そのうちのふたつを紹介します。このたったふたつだけでも意味を知って瞑想するとそのあと何かたましいが豊かになったと実感できます。

まず海を想い浮かべてください。青い海、白い波、青い空、白い雲などです。

私は以前風光明媚な海の街に住んでいました。そしてその頃はもう神の存在を信じていました。毎日のように砂浜や海を見下ろす遊歩道を散歩していたのですが、ある時砂浜にいてボケーッとしていました。波打ち際で見るともなく海を見ていました。

そしてふいと横を見ると、ひとつの少し勢いの良い波が砂浜に乗り上げて行ったのです。その波の様子が面白く、思わず「ウフッ」と笑ってしまいました。

どう面白かったかというと、その波が何かの生き物みたいで、砂浜に勇ましく飛び上がったというか船から飛び降りたというかそんな風に見えたからです。野球の試合で間一髪でもいいからセーフになるようにと選手が頭からベースに飛び込みますよね。あんな感じです。それで思わず笑ってしまったのです。

そして顔を戻しまた水平線の方を見ていたのですが、そのうち突如あることがひらめき、そうかわかつたと心で手を打ちました。

色々な霊が波に乗って岸を目指し、たましいが地上に生まれてくるのだということがわかったのです。「ニライカナイ」これは沖縄の言い伝えで「たましいは海の彼方からやってくる」という意味ですがそれが正しいとわかったのです。このことだけでなく日本中の民話や風習や民俗学者の言っていたことを色々と思い出し、なるほどそういうことかとしばらくの間興奮していました。

ここで大切なことですが、太古の人たちが海の現象を擬人化して「たましいは海の彼方からやってくる」と考えついたのではありません。神、永遠のブツダがその知恵でもってそう描き示しているのです。

もう少しこの光景をくわしく説明しますと、天はあの世を表し、海は母胎のようなものであり、地上がこの世です。水平線は天と地の接点です。

つまり天からあの世からさまざまな霊が水平線またはその向こうにどんどん下りてくることを意味しています。沖から来る青黒い波は海という母胎に抱かれた多くの霊でどんどん地上を目指し、白波は生まれてくる生命、そして待ちかねたように地上に這い上がってくる生命、とこんな具合です。波の方が霊という感じがします。

いくらか違うかもしれませんが大体のところで良いのだと思います。あまり厳密過ぎるのもどうかと思います。私の論説は厳密でないからわかりやすいのです。

それと、神は私が今説明した以上に海を通して色々な霊的意味を示しているはずです。たとえば海の色はなぜ赤とか黄色ではなく青や黒なのだろうか。水とは何か。なぜ塩辛いのか。満ち潮引き潮は何を意味しているのか。砂とは何か、岩とは何か。これらは私にはもうひとつ解っていませんが、あらゆる事柄に科学的事実とは異なる霊的意味が存在します。

さてそういうわけで多くの人が海を見るとなぜか懐かしいという感情をいだくのです。小林一茶が「亡き母や 海見るたびに 見るたびに」という俳句を作っています。また民俗学者折口信夫も熊野を通って伊勢の大王崎に出た時、目の前に広がる海を見て、確かにたましいのふるさとを感じたと言っています。

私自身はそのような感性に乏しく、広々していて気持ちが良いぐらいだつたのですが、若い時に三人で海に行ったとき一人が「何か海を見ると懐かしい感じがするなぁ」と言っていたのを思い出します。私も水平線や寄せ来る波の意味が解ってからは、特に小高いところからはるかな青い海を見ると何か懐かしいという思いになります。

このほかにも以前読んだ本のことを思い出しました。それは古くからの習慣で子供を叱る時に「お前は浜辺でわかめにくるまってオギャーオギャーやっていたんだよ! それを拾ってきたんだ」と言ったり「お前は河原にころがっていたんだ!」とか「お前はね、橋の下で拾ってきた子なんだよっ」と言うそうです。

子供が「エーッ?」と驚き、頭が「ガーン」となって、騒いでいるのをやめたりわがままをやめたりするからでしょうね。

川も天に近い山の上の水源から下に流れてくるものですし、川の水の中から子供が生まれてくる、川にはそのような意味もあるということです。太古の人たちは元の意味をよく知っていたのです。それが口で伝わるうちに元の意味を忘れて行き、そう言って叱ると効き目があるという風になったのだと思います。

水平線は天と地の接点と言いました。あの世とこの世です。太古の日本人は海の彼方に常世があると考えていました。永遠の世界です。星を見ればわかるように天は回転しています。従って海の彼方と天国は一緒です。

仏教で極楽浄土は西方十万億土と言いますが、これも同じことです。西方とは日没の方角であり、太陽というこの世の象徴が沈んで星がきらめくあの世的な夜になるということでしょう。星空は回転しますから天の奥と一緒です。

ニライカナイ常世、また子供を叱る時に浜辺や河原を利用するなど、太古の人たちがいかに神の心を探求していたかがわかります。

次回はさらに面白い話になりますからお楽しみに。