kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

カニという守護神 1

海の景色と神の心がつながった時は大変嬉しく、興奮しながら今までに学んだ海に関する色々なことを思い出しましたが、その日のうちにもうひとつわかつたことがあります。大変面白いものです。それはカニという生き物のことでカニがどのような動物であるかがわかりました。

以前から防波堤のテトラや磯でたくさんのカニを見てきました。その様子と前に読んだ民俗学の本の内容を思い出してそれでわかったのです。

そのカニは確か岩ガニという名前だったと記憶しています。かなり激しい波でも平気でテトラの上を動いており、二本のハサミでもつて何かを拾い、交互に右、左、右、左と口に運んでいます。何を食べているんだろうとよく見てもどうも何もつかんでないように私には見えましたが、やはり何かを食べているのでしょうか。

黒っぽいカニなのですが、ハサミが赤みがかった年長と見られるものから、豆粒ぐらいの大きさで白っぽい幼少のカニまで、みなそういう感じで右に行ったり、左に行ったり、また時々前後に動いています。ちょうど水面すれすれで、波の具合により上になったり下になったりしてハサミを動かしています。以上が観察です。

次に民俗学の本とは「かに守神社」について研究した人のものです。その本によると日本には「かに守神社」という名の神社がところどころにあり、みなカニを安産の神として祭っているそうです。このこととある地域では子供が生まれるとその子の身体の上でカニを這わせる風習があるという話を思い出し、カニがどういう生き物であるかがわかりました。

太古の人たちがカニを安産の守護神と考えたのは正しく、神がそういう存在としてカニを描いているのです。わかりやすく言うと、カニという霊魂の中の神が「ヨーシ赤ちゃんが無事に生まれてくるように、悪いものはみーんなこのハサミでちょん切って食っちゃうからナー。」とやっているのです。

どうか皆さんここで「ゲッ!」などと驚かないでください。段々わかつてきますから。他にいくつかの例を上げれば必ず納得してもらえると思います。

岩ガニの表面の心は、そういう神の心のままに何とはなしにあのように動きたくなり、ごく自然にやっているのだと思います。あるいはテトラ付近の何かを食べたくて自然に食べているのかもしれません。

カニが海面すれすれで行動しているのは、丁度たましいが地上に生まれてくる境い目の所ということであり、あのふたつのハサミは多分「魔性を断ち切る」という神の武勇的な一面を示しているのではないかと思います。

安産の守護神と言いましたが、どちらかと言えば母体が無事であるというよりも、赤ちゃんが無事に健康な身体で産まれてくるということだと思います。

このように人間が偶然思いついてカニという守護神を作り出したのではなく、神が安産の守護神としてカニのような生き物を造ったのです。

皆さんどうですか。もうひとつ説得力がないでしょうか? 海やカニをそこまでは見られませんか? ではそう見られるように別の例で説明してみます。

それから何日かして今のことを思い浮かべながら海を見ていた時のことです。だいぶ前にテレビで見たことのある別のカニを思い出して「アーッ!そうかっ」と思わず心の中で手を打ちました。知っている人もいるかと思います。シオマネキというカニです。

身体のわりに大きなハサミでもって(たしか片方のハサミだけが大きい)、名前の通り沖の方に向かって何かを招いている、波を呼んでいるように見えるカニです。

皆さんはあの仕草が何を意味しているかもう大体わかるのではないでしょうか。そのカニの霊魂の中の神がシオマネキになつて「オーイ、みんなどんどん来いヨー。もうすぐ地上のパラダイスに生まれてくるんだからナー。すっごい極楽だゾー。俺たちカニの仲間が、無事に生まれて来られるように守ってやるからナーッ。さぁどんどん生まれて来いヨー。」とまあこんな気持ちを示しているのです。

ここは信じちゃってください! こじつけだなどと思わずに。そう考えた方が自然だとは思いませんか? 神の存在を信じられる人なら、神はそのくらいのことまでをやって見せてくれる、と考えた方が自然でありいかにも神らしいとは思いませんか?

シオマネキの表面上の心は、波とか空気とかのまわりの自然が心地好く、沖の方からやって来るものに対して何となくあのような動作をしたくなり、無心になって行なっているのだと思います。