kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

拈華微笑

禅宗の旗印とも云えることばに拈華微笑(ねんげみしょう)というものがあります。世界大百科事典から引用します。

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禅宗の起こりを説く故事、公案の一つ。以心伝心、不立文字の意。唐代に萌芽があり、宋代に定形化される。《無門関》第10則にあるのが、もっとも著名である。釈迦が霊鷲山で大勢の弟子に説法していると、梵天が金波羅花を献ずる。釈迦は、これをうけとると黙って弟子たちに示す。だれもその意味を理解できない。長老の摩訶迦葉だけが、ひとり微笑する。釈迦は、我に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門あり、不立文字、教外別伝、今、摩訶迦葉に付す、と言ったもの。

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この文章が書かれている経典は中国で作られた偽経だとされているようですが、本当にそうでしょうか。というのは、これほど大乗仏教の真髄を短い文章で言い表しているものはない、と思えるぐらいの言葉だからです。

もちろん禅の達人もすごい人たちです。しかしこれほどの奥深い表現は永遠のブツダ・神の啓示者でなければできないのではないか、と私には思えます。

自分で言うのもなんですが、私はこの公案を正しく理解したつもりです。摩訶迦葉だけが何をわかったかというと、花とはほほ笑みであるということがわかったのです。

永遠のブツダは自分のほほ笑みという心を植物の花という現象で表現しており、摩訶迦葉はそれがわかって微笑したのです。単に以心伝心で何かが伝わっただけではありせん。

以前の論稿で、太古の人たちがロマンチックに考えて「死んだらお星さまになるのよ」と思いついたのではなく、永遠のブツダがこのようなものになると星空を見せていると書いたことがあります。同じように永遠のブツダが花を通して微笑みを示しています。

太古の日本人は星とは何かをよく知っていたように、花とは何かも知っていたようです。咲くという漢字は口偏からもわかる通りもともとは「わらう」という意味だそうです。そして日本が漢字を使い始めたときに、昔から「鳥なき花わらう」と言われていたために「咲」という漢字を用いたそうです。花わらうという言い方と花がさくという言い方があったのだと思われます。

太古の日本人はみな摩訶迦葉のような人だったようです。すごいですね。中国の禅の達人も「花とは微笑み」を知っていて拈華微笑のことばを旗印にしたのだと思います。