kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

デジャブはなぜ起こるのか

心理学の研究対象にもなつているデジャブという用語があります。日本語では既視感です。初めて来た場所で初めて見る光景なのに以前確かに見たことがあると錯覚する現象のことです。

私も若い時に経験したことがあります。二十歳前後だったと思いますが二回ありました。ひとつは山とかの自然の風景だったと記憶しています。もうひとつも同じような経験だった気がするのですがはっきりしません。街並みとか公園とかの普通の場所だったかもしれません。

間違いなく初めて来た場所なのに、確かに見たことがあるという不思議な感じでした。そのころは前世とか来世などの宗教は信じていなかったので「何だこれは」という想いでした。

初めて来たことは間違いないので、それを説明する理由としてはただひとつ、以前映画やテレビや写真などで見たことがあり、それが薄っすらと記憶に残っていて(というのはその映画やテレビは全く思い出せない)、それが重なって前に見たことがあると思ったのではないかというものです。しかし薄っすらと記憶に残っていたもの、というより現物を確かに見たことがあるというはっきりとした感覚だったことを覚えています。

後になってこの現象は心理学でいうデジャブ・既視感だと聞き、かなりの人が経験することを知りました。今調べてみると大学生の72%が経験しているとのこと。そして今でも確かな原因はわかっていないようですが、脳が記憶を再生するときにエラー(取り出しミス)をしている状態がデジャブである、という説がデジャブ解明の最有力説になっているそうです。再生するときの僅かな時間のずれで起きるのですから、完全な錯覚ということになりますね。もうひとつ腑に落ちない気持ちでしたが、その後はデジャブを経験しなかったし、そのうち忘れてしまいました。

しかし今はデジャブについて私独自の仮説を持っています。というのはある時から仏教を学んで来て色々な点で考えが変わったからです。今では霊的なことがらの存在を信じています(大乗経典の中心の仏はこの宇宙の主宰者です)。

しかしいわゆる前世や来世は私の考えるものとはかなり異なります。つまり自分の前世で見慣れていた風景を今現世で見ているという仮説ではありません。

私の仮説は、その風景を見たいと思った人の想い、願望の強い霊的存在が、その場所に来ていて、そこを通りかかった人の霊魂に入り、一緒になってその風景を見ているのではないか、というものです。

その際、入りやすい人と入りにくい人がいると考えられます。デジャブを経験するのは大体15歳〜25歳だそうですから、理由はわかりませんがこの仮説では若い人の方が入りやすいことになります。私も19歳〜25歳の頃でした。それまではほとんど旅をしたことがなく、経験したのは二回とも旅行の際だったと記憶しています。

二つの人格・霊的存在が重なってその風景を見れば、ひとつは懐かしい風景を見ていることになるし、もうひとつは初めてのはずなのに? という思いになると思われます。その際、想いを遂げたいと願う迷いの霊もある肉体を通して意識上に現れる時はその肉体を自分だと思うので、両方とも自我意識なので違和感を感じないのです。前にも言いましたが迷いの霊はどれもその肉体を自分だと錯覚するので。

一例を上げると、故郷を遠く離れたある人がもう二度と故郷を見ることはないかもしれないと感じた時、子供の頃から慣れ親しんだ故郷の山や川を思い浮かべ、「ああ、あの景色をもう一度見たい! もう一度っ!」と強く願い、念じることは結構あるのではないでしょうか。今の私の仏教理解では、そのような非常に強い願いは実現の可能性が増すことになっています。それでこの仮説を思いつきました。