kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

本当のエロス

空と海、波やカニこれらのことを神、永遠のブツダが夢見るように瞑想しているのです。さぁみなさん! 神がやっているように我々も夢見るように瞑想してみましょう。

美しい海と水平線、天から降りてきて波に乗ってやって来る霊、波の音、カニたちの色々なしぐさと心、「ソーレッ、ワッショイ!」そして皆さんもシオマネキの神になったつもりで、沖の波に向かって呼びかけてみてください。「オーイ、どんどん生まれて来いヨー、俺たちが守ってやるからナーッ」

何とも言えない暖かい喜びの心が胸の奥から湧いてきませんか。胸の奥で「イイ! イイ!」と称賛している気持ちです。この心こそがエロスなのです。「フィロソフィアは恋、エロスである」のエロスです。

プラトンが初恋のような精神的恋がそれであると言ったとおりです。プラトンが言うように知ろう、想い出そうという心もエロスと言えるでしょうが、それ以上に海とかカニを具体的に知って瞑想したときの方がはるかに恋慕う気持ち、称賛の気持ちが強いですよね。

フィロソフィアは愛知、知ることへの愛と言いましたが、ソフィアには「人間がその知恵でもって知ること」の意味以上に「神の知恵」の意味があると思います。神の女神的な側面です。ソフィアとかソフィーという名前の女性はよく聞きます。仏教でも智慧は般若で女神です。「父は方便、母は般若」と言われています。

従ってフィロソフィアとは神の智慧を愛おしく思い、称賛の気持ちで恋慕う心であると私は理解しています。

なぜエロスの心が大切であるかというと、この時に他を排斥するような多くの迷いの霊が救われたましいが浄化されるからです。前に他を愛する心により憎しみなどの迷いの霊が救われると言いましたがその究極の心情と言えるのではないでしょうか。実際海とカニを瞑想してエロスの想いを経験するとそのあと何かたましいが豊かになったと実感します。

しかも神の智慧を称賛し恋慕っているのですから信仰そのものです。「宗教は信仰であり、哲学は理性であるからこのふたつは相容れない。」と言う人がいますが、完全に間違っています。フィロソフィアの本当の意味を知らないからです。ソクラテスプラトンの考えはまだフィロソフィアの本質に近かったけれど近代現代の哲学者は果たしてどうでしょうか。彼らの文章はわかりにくいのではっきりとは示せませんが、本当のエロスの心からははるかに遠いような気がします。

仏教も「哲学は恋である」を言っています。小品般若経という初期の大乗仏典に次のような文章があります。ここは仏典の中でも私の大変好きな文章なので記憶のままに書いてみます。

***どんなに悪魔が誘惑しても菩薩の信念は揺るがない。正法の為に身命を惜しまず勤行精進する。

たとえば情欲を燃やす男が約束した女に会えないと一日一夜の間いくたびも恋しさに悩む。それと同じように菩薩は多くの生死を越えてひたすら般若波羅蜜を思惟学習するのである。***

般若波羅蜜が彼岸に到るための神の智慧のことでそれを思惟学習するというのがそのまま哲学をするということですよね。多くの生死を越えてとは、日々迷いと悟りを繰り返しながらの意味だと思います。仏教では瞬間瞬間に生まれ瞬間瞬間に死ぬと考えますから。

ソクラテスプラトンが正義や勇気など徳のことを言っていますが、般若波羅蜜も知性や徳性すべての事柄を含むと言っています。そしてこの哲学的な徳の追求は決して人間だけのものではないと思う。たとえば鳥のひなが成長して初めて巣を飛び立つ時は勇気とは何か、飛翔とは何かを知ろうとしているのであり、実際に行動することによりそれらを知にしていると思います。

 

私は今でも時々この海とカニを瞑想するのですが何回やってもそのたびに何とも言えない喜びの心に満たされます。

時々でいいですから皆さんも海とカニたちを瞑想してみてください。きっと精神的恋、エロスを感じることでしょう。