kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

ぶどう園の労働者のたとえ

新約聖書のマタイによる福音書に「ぶどう園の労働者のたとえ」というイエス・キリストのたとえ話が書かれています。それをそのまま書いてみます。

*** 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろに行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『誰も雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに『あなたたちもぶどう園に生きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来たものから始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」 ***

私はこのたとえ話を「象や亀や人間のように非常に寿命が長い生きものだけでなく、それほどでもない生きものも、あるいは寿命が普通のものも、また比較的短いものも、更にはほんのちょっとしか生きないものも、この世に生まれてきたからには、死んで成仏する、死んでひとつの星になる、そういう一デナリオンという報酬をすべてのものに必ず与える」という風に解釈しました。

デナリオンという硬貨は多分白っぽい硬貨だろうと思って調べてみたら銀貨でした。

最後の「わたしの気前のよさをねたむのか」というちょっと面白い表現は「ねたむ? ちがうだろう!」ということだと思います。神の慈悲深い心を知って、恋慕のこころ、エロスの想いになるんじゃないのか、とはっきりとは言わずに暗に秘めてこのような反語的表現になつているのだと思います。何とも言えない巧みな美しいたとえ話ですね。

神の人間に対する想いがアガペー、愛ですよね。仏教では慈悲の心です。そして人間の神に対する想いがエロス、恋慕です。西洋はそのような見方をして来なかったようですが。

「極悪人でも成仏するのか?星になるのか?」という疑問を持つ人もいるでしょうが、私は誰もが成仏すると思っています。善の心や行為がゼロの人はいないでしょう。どんな悪人でも自然の良さを感じたり、家族には優しかったりしますよね。そのような時は霊魂の奥の神の光に到っています。悪は全部捨てられるのだと思います。