kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

心の貧しい者は幸いである

私は独学で仏教を学んでその教えを信頼していますので一応仏教徒です。45歳までは宗教に関心を持たず、仏教のある本で興味を持ち以後研究を進めていったのですが、途中からは仏教以外の宗教も勉強してみようという気になりました。

特にキリスト教はこの数百年人間の歴史の進展という面では先導者として大きな力を示してきたので一番関心がありました。それで聖書やその解説書をかなり読みました。大乗仏典と同じようにわからないところも多いのですが、私が得た仏教的知見と重なるところも結構あります。

そこでその辺を時々に書いてみようと思っています。前に、キリストも「死んで星になる」という話をしていると私の見解を書きましたがそのことです。

マタイによる福音書に次のようなキリストのことばがあります。

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心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

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この文の「心の貧しい者」とはギリシャ語の原文では「霊において乞食であるもの」だそうです。東京大学の哲学教授でクリスチャンでもある人が言っていたのだから間違いないでしょう。しかもあるラジオ番組の終わりごろ「私ももういちど一から聖書を勉強してみたい。たとえば、心の貧しいものは幸いである、という言葉はギリシャ語の原文では、霊において乞食、、、、」というような言い方でしたので、それまでの一般的な解釈、説明ではもう一つ納得できなかったのだと思われます。

この教授の話を聞く前から「心の貧しいものは幸いである」という言葉は知っていました。心が無知で貧弱な方が良いというのだろうか、と変な感じを持ったことを覚えています。

しかし教授の話を聞いてからしばらくして、またこの話を考えていた時に「あっ! わかつた」と思いました。「お金や食べ物や名声などの肉的なものを乞い求めるのではなく、霊的な知、霊的な真理を恋い求め、恋い慕い、探求する人たちは幸いである。天の国、安楽浄土はその人たちのものである。」これが正しい解釈であると私は考えます。

これはソクラテスプラトンが言っていた「哲学・フィロソフィアは恋・エロスである」のことですね。教授の「霊において乞食」という話を聞かなかったらこのような解釈は全く思い浮かばなかったと思います。