kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

失われた一匹の羊

キリストのたとえ話に「失われた一匹の羊」の話があります。百匹の中の一匹がいなくなったと。この百はもっと多い相当の数が予想されます。

アダムとイブの罪は全人類に広まったのですよね。場所により堕落した度合いが異なるにしても。そうすると罪から立ち直る人だけを失われた羊とするのはもうひとつぴったり来ない感じてす。

私は、パリサイ人や律法学者が「罪人たちと食事をしている」と非難したので、真意を隠し秘めて彼らに対する皮肉を込めて「悔い改める必要のない九十九人」と言ったのだと考えました。

キリストの真意においてはこの失われた羊とは人間のことだと思う。

大乗仏教はあらゆる生きものは神の子であると言っているしイエス・キリスト自身も人間だけが神の愛の対象だとか人間だけが神の子であるなどと一言も言っていない。

人間以外の生きものはみな神の心のままにごく自然に生きていますよね。人間だけが明日のことを思いわずらったり、名声を求めたり、あれもこれもと欲張り戦争をします。

地上の生きものはすべて神の子と考える人はごく自然に失われた一匹の羊とは人間のことだと思いつくのではないでしょうか。