今日は今までの話から大乗仏教の教理としてかなり重要と思われるものいくつかを説明してみようと思います。
現実の世界は神、永遠のブッダの方便の力(救いの手段、教えの方法)がさまざまに行き渡っていますが、その中から教学的な二つの方便を取り上げてみます。
一つはどの迷いの霊にもその肉体を自分だと思わせていること、つまり他と区別された自分が存在すると思わせる方便。もう一つは物質的現象が存在していると思わせる方便です。
つまり神は常に迷いの霊を「自分が有る、物が有る」という在り方にして救おうとしているのです。実際、自と他が一致した時は自我意識も物質現象も空じられて救われています。
この大乗仏教の教理を正しく理解して唯識派の人は「人空、法空」を主張しているのです。大乗以前の仏教は人空は知っていても法空を知らないと言ったのは当然です。伝統仏教は物自体は実在しているとしてますから。
前にも言いましたが現代の仏教学者で初期仏教も法空を言っていると主張している人がいますが間違いです。空と無我を同じと見ているからでしょうね。空と無我は違います。私の友人が言っていた通りです。
次に空の境地のことで。
ある自然現象と感性的に一致した時の真理を相対的真理と言いました。この真理はその時々の、また様々な現象で皆異なりますよね。それに対して空じた時の無の心、安らぎの心、大いなる自由の心、涅槃の心は皆同じではないでしょうか。
見とれた時は一心が無心で 美→空 が瞬間瞬間に繰り返されている感じです。笑った時は 面白いっ→空 が繰り返されています。この空は涅槃の無の心でいつも同じです。
從ってこの空という真理は究極的真理と言えます。相対的真理と究極的真理です。