kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

情欲について

ジークムント・フロイトという有名な精神分析家が「リビドー・性欲本能の底には恐ろしい破壊本能が潜んでいる。だから人間は理性でもってその暴力本能、破壊本能を抑制しなければならない。」というような意味のことを言っていましたが、私の性欲本能に対する考え方は少し違います。

まず破壊本能、暴力本能というものは無いと私は考えます。定義にもよるのでしょうが、本能というのはごく自然に、神の心のままに出てくるものです。破壊、暴力の心は確かに潜在意識の中にありますが、それはあくまで迷いの霊であって本能ではないと思います。

その非常に迷いの強い霊が神を信仰して救いを求めたのが男性の性欲です。信仰しているのだから正しい性欲の姿勢でなければなりません。犯してやろうと思ったり暴力的な目で女性を見るのは間違った行為です。

「ああ何て魅力的なんだ! まるで観音様のようだ。どうか救ってほしい、願いをかなえてほしい。」というふうに賛嘆し、恋い焦がれ、恋慕うのが正しい情欲であり神を信仰している姿なのだと思います。

そして合意が成立し、相手を打ったり破壊するのではなく、しっかりと抱きしめることによって、またあの強い絶頂感によって、暗く恐ろしい霊、破壊・抹殺という暴力の霊が救われて真理を得るのです。

   真理とは主観と客観の一致 

        ↓

        空

        ↓

        自由

皆さんどうですか。身も心も一体となっていますよね。神の偉大な智慧と力また慈悲の心を感じませんか? 私には、確かに神が存在することの有力な証拠のように思えます。文字通り神秘的です。

あのような感覚が自然選択とか利己的遺伝子の理論で説明できるわけがありません。なぜ女性の肉体を見ると恋い焦がれる心が起きるのか、なぜあれ程の絶頂感なのか。およそ人間理性などの思慮分別を超えた無分別の神秘的な神の智慧と力、そういうものを考えなければ説明がつかないのではないでしょうか。

ただ男性なら誰でもわかると思いますが情欲の底に確かに暴力的な想念、サド的なものを感じ、いわゆる不条理とかで何とはなしに罪悪感を抱いて神にまで想い至らなかったのではないかと思います。私も以前はそうでした。でも今の私の理屈で納得できるのなら、これからは神と情欲との関係を素直に肯定できるのではないでしょうか。

また抱きしめるという行為と心においては暴力的な霊だけではなく多くの「他を排斥する迷いの霊」が救われるのだと思います。

今の話は男性の性欲についての話ですが女性の方も何かを得るはずです。それは女性の皆さんがそれぞれ考えてみてください。