kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

大乗の経典

これまでの話で自然現象が神、永遠のブッダの教えであるということをわかってもらえたと思います。

ではそのことが経典に書かれているかというと直接「自然現象が仏法である」とは書いてありません。暗に秘めて書かれています。

多くの大乗仏典に「この経典を受持し、読誦し、供養し、賛嘆する者は多くの功徳を得る。」という同じような表現が見られます。経典を受け取って、読みとなえ、尊敬感謝の想いをいだき、称賛する者は功徳を得る、という意味です。

これはサンスクリットや漢字という人間のことばで書かれた経典のことを言っていると同時に、自然のことを暗に秘めてこの経典と言っているのです。

自然現象が神、永遠のブッダの教えのことばが書かれた経典であって、自然という経典を受け取める。読みとなえるとはそれがどのようなものかを知ることです。感覚的情緒的にはすぐ知覚しますよね。手紙や本を読んでいる時は文章の意味内容を知ろうとします。

そしてその自然現象を敬愛の想いで称賛する者は多くの功徳を得るという意味です。その時はたましいが浄化されるという功徳を得ています。

つまり自然現象は神が書いた、神秘的で、甚だ深く、霊妙な、絵の文字、色の文字、音や香りということばであるとしきりに言っているのです。

禅宗の特徴は「不立文字、教外別伝」を主張するところにある、とよく言われますが禅宗だけではありません。大乗仏教はどれも不立文字、教外別伝を主張しています。大乗仏典は、人間のことば文字で書かれたり解説された書物以上に自然という神のことば、呪文、真言を探求しなさいとしきりに人間のことばで説明しています。

またかなりの大乗仏典が「この経典は最高の経典である」とか「これは最も優れた経典だ」と誇っていますが決して矛盾していないと私は考えます。この経典とはどれも自然現象のことだからです。

主だった大乗仏典はどれもとてつもない内容です(わからないところも多い)。従ってどれが一番優れている経典か、などとランク付けするのはやめたほうがいいと私は思います。