kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

法門無量

今までの話で「たましいが豊かになるためにはどのようなことをすれば良いか」も大分わかったと思います。すなわち出会ったものと肯定的に一致していく、正しい感覚正しい感情を保つということです。思考も行為の一つですが思考を除いた行為についてもう少しくわしく説明しましょう。

どのような行為が大切かというと実は「全部」です。

朝目覚めては今日も多くの良い経験をしようと生き生きと起き上がり、朝の新鮮な空気を吸ってはさわやかな気分になり、顔を洗っては水の心地よさに清浄な心となり、トイレに入っては心行くまで無我の境地をあじわい、食事の時は味をかみしめ、バンドをしめる時はきりっと気を引き締め、部屋を出る時はやる気に満ちた志しをいだき、道を歩く時は人格も一歩一歩前進していると感じ、階段を上る時はもっと上を目指そうという気を起こし、階段を下りていく時は他の人々を暖かく思いやろうという気持ちになり、また途中で出会う色々な動物や植物あるいは山や川などと気持ち良く一体になり、、、、、といった具合に日常生活のすべてが仏道でありたましいを豊かにしていく行為です。

今の私の表現は意識してことばにしたので決して適切なものとは言えませんが何となくわかってもらえると思います。

普段の行為が正しく出来ているかどうか時々反省するのは良いでしょうが、そのつど意識して判断や行動をするのではなく、野生の生き物のようにごく自然に素直な気持ちで行動できるのが良いのだと思います。

「三昧」ということばがあります。ゴルフ三昧、読書三昧というように無心になって、夢中になって物事にふけることです。仏教的に言うと深い瞑想の境地であって悟りに至る境地です。

そのように無心になってしかも楽しく気持ち良く行動出来ている時は自我意識が空じられ自然に悟りを得てたましいが豊かになって行くと仏教は言っています。

恥ずかしながら私自身はいまだ良くできているとは言えません。気持ち良さそうに歩いている人を見ると羨ましくなります。心掛けてはいますが。

このほかにも行為そのものではありませんが、耐え忍ばなければいけない時はじっと耐えたり、努力すべき時は努力し、してはいけないことは決して行わず、またつらい別れのときはその寂しさにひたるという風にその時々の心の持ち方全部が大切です。寂しげな曲を聞いたあとも何か心が浄化されますよね。

これが「法門無量」です。大乗仏教は、朝起きてから寝るまでのすべての物事が悟りに至る、たましいを浄化する法門であると言っています。

先ほども言いましたように私も不完全な人間でしばしば憎らしいっ!と思ったり、腹を立てたり、また無心に行動できないことも多いです。ま、大概の人は同じようなものでしょうし、酷い悪をしなければそれで良いんじゃないでしょうか。心掛ける、で。