kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

植物の種はとても神秘的です。

非常に小さいものを「けし粒のような」と言うとおり、あのように小さい存在の中にその植物の一生の、葉、花、花の色、果実などを可能性として全部含んでいるのは何とも不思議です。

そして種はある環境状態にあればいつまでも保存されるそうです。このことは千年以上も前の種が発見されそれを発芽させたという記事が新聞に出ていたことを見てもわかります。

それと同じようにですね。心からの祈り、願い、夢も結ばれて種となり、未来に夢を開き花を咲かせるのではないでしょうか。植物の種が小さいように、祈り、願い、夢も瞬間という無のように短い時間の中に閉じ込めるということかもしれません。それぐらい強い願いということです。

「流れ星が見えている短い時間内に三回願い事をすると願いがかなう」と言われていますが、この言い伝えは神のイデアである「流れ星」の意味(私は未知)と瞬間の中に願いを閉じ込めるということに関係しているのかもしれません。

そして植物の種が水や温度を縁として芽を出すように、願いという種も神の智慧と力がある状態を造り出していき、ある時の何かを縁として夢が開き現実になるのだと思います。

いつ実現するかは夢の内容や願いの強さやその他の原因によるのでしょう。次の日にかなうかもしれないし、その人の数年後あるいは数十年後かもしれないし、その人の一生でかなわなくとも未来に他の個体を通して実現するかもしれません。

ちょっと思い出したことがあります。プロ野球で大変有名なある人は、寝床に入ってから次の試合のピッチャーを予想し自分が鮮やかなホームランを打ったシーンをイメージしながら眠りに入った、と聞きます。この人は実現する力になるということを信じていたのだと思われます。

いわゆる地球の進化という現象もこういうところから出てくるのではないでしょうか。地上の生きとし生ける者たちすべてが神の創造のわざに参加しているのです。神は自分だけでどんどん世界を改造していくのではなく、「ああ、あの高いところの木の葉を食べたいっ!」と食べているシーンを夢見たり、「この辺に水飲み場があったらどんなに良いだろう!」と池や川のシーンを夢見る生き物たちの想いを秘かに聞きながら創造のわざを行うのだと思う。