kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

言霊の幸わうくに

「ことだま」についてデジタル大辞泉には「古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉通りの結果を現す力があるとされた。」と書いてあります。言霊と普通は書くようですが、事霊とか言魂とも書くそうです。

私はことだまを人間の発する言葉のことではなく、この宇宙の主宰者のことばのことだと考えます。もちろん人間の発する言葉や想念にも不思議な力があるとは思います。しかし万葉集の「やまとは、ことだまのさきわうくに」の意味を「日本は人々がやまと言葉を話し合い、それが豊かで、幸福に満ちた国」と解釈するのはもうひとつ納得できませんでした。

神のことばと考えればぴったりです。新約聖書ヨハネによる福音書の冒頭に次の文章があります。

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初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

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万物はことばによって成ったとあります。このことばを言霊と同じと考えれば「ことだまのさきわう国」が納得できます。つまり自然が豊かな国という意味です。森羅万象はことばによって成ったのですから、事霊とも言うようにあらゆる事象が豊かで、栄えて、幸わっていると言えます。

地震や火山や台風などの怖い事象も起きますが、その荒々しさも多くの日本人が、こういうこともある、と受け入れているのではないでしょうか。恵みの象徴である雨が多いことや春夏秋冬の適度な気温の変化によりどこに行っても美しい風景に出会えます。

河川の水のきれいさは大陸の川とはまるで違う、と江戸時代に日本に来たヨーロッパ人が言っています。もちろん日本だけが特別とは思っていません。破壊されていない、また汚染されていない自然は世界のどこでもそれなりにいいのではないかと思っています。

キリスト教が初めて日本に来た時、聖書の翻訳を何人かが試みていますが、ある日本人が先の「はじめにことば(ロゴス)があった」を「はじめに言霊がござった」と訳しています。私は適訳だと考えます。