kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

神の愛

私は昭和の終わりに仏教に会い興味を持ち以来独学で勉強して来たのですが、キリスト教は最大の宗教でありこの数百年はキリスト教が主導となって世界を牽引してきたので、途中からはキリスト教も研究してきました。

正直に言うとキリスト教には教学的な疑問をいろいろな点で感じます。仏教に比べて理にかなっていないというか、なるほど確かにと思うところが少ないのです。それで疑問に思うことを率直に書いてみようと思います。

まず始めにキリスト教は「神は愛であり、その愛の対象は人間だけである」としていますが、私にとっては到底信じられません。私は50才近くまで無神論者だつたのですが、若い時にこの言葉を知ったときも、もし神が存在したとしても「人間だけが神の愛の対象だ」と言っている宗教は信じられないと思いました。身近にいる色々な動物を見てきて、人間はちょっと異色な面はあるがどう見ても動物の一員であるとしか思えませんでした。

今は仏教を通してこの天地の主宰者である神の存在を信じていますが、神の愛=仏の慈悲は全ての動物に注がれていると確信しています。

経典にもはっきりと「一切の生きとし生けるものはわが子である」と書いてあります。あらゆる有情は神の子です。

すべてが神の子だとしたらなぜ弱肉強食のような現象を作り出したのかというのは別の神学的問題です。

キリスト教はあくまでも神と人間と自然という区分をしていますよね。これは多分旧約の冒頭にある「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」や「地に満ちて地を従わせよ。」の言葉を重視しているからなのでしょうが、私がこの言葉を知ったのはキリスト教の勉強を始めてしばらく経ってからです。そして大変驚きました。創造者としての神がこんなことを言うだろうかと。

大乗仏教はどんな生き物も潜在意識の奥底には神がいるとしていますから、どんな生き物も神にかたどって造られていると言えます。

子供のときからいろいろな生き物を見てきて、人間だけが神の愛の対象であるという考えにはどうしても違和感を感じます。