kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

文明は人間の本質ではない

今の私は文明は人間の優れた特性によりもたらされたもの、とは考えないようになりました。

仏教を学んで人間の本当の知性を知るようになってからは、文明は優れた特性どころかアダムとイブが罪を犯したことにより人間が獲得したものであると思うようになりました。

そう考えると若い時にいだいていた疑問が解決します。若い時は人間の本性は間違いなく文明であると思っていました。しかし文明的な発見や発明や創造の能力は人によりかなり差があり、どうも人種的にも差がある感じで何か嫌だなと思い続けてきました。

また文明が発達すればするほど戦争が激しくなり犠牲者が増大することも間違いなく事実であり、何か変だなという思いを時々に持ちました。それでも人間の本質は文明であるという考えは変わらなかった。

しかし文明を人間の優れた特性ではなく、犯した罪によりもたらされたものと考えれば色々な疑問が解消します。

私は仏教を学ぶことによって人間の本当の知性は妙観察智を中心とした四智ないし五智であると知りそれを過去に説明しました。

その智から見ると文明的な知性はみな物質は間違いなく存在するという前提で思考されていますから、本当の知ではなく錯覚あるいは単なる思い込みであると言えます。しかし他の存在を支配したり自然を征服することにおいては大きな力となります。

太古の人たちはみんなが命や自然に関する様々な真理を知っていたのだと思う。神や霊の存在、死やあの世のこと、私とは何か、本当の自分とは何か、自然現象は神の精神・精霊であることなど殆どのことを知っていたのだと思われる。

それがアダムとイブが罪を犯したことにより少しづつわからなくなり、自我執着心が増大し貪欲になり戦争や差別が起こり、また死を最悪のことと考えるようになってしまったのだと思われます。

いくら基本的人権と言っても文明を人間の優れた特性としている限り戦争や差別が無くなることはないのではないでしょうか。

数百年前に西洋で新しい文明が起こり、今に至るまで文明を人間の本質として推進していますが何か変だとは思わないのでしょうか。この数百年、人間の理性、文明、自由、人権、平等を主張してきた挙げ句起きたのが二十世紀の大量殺人、膨大な自然破壊と深刻な環境汚染です。少し前にはとても想像できなかったこと、ひょっとしたら人間滅びるかもしれない、地球も滅びるかもしれないと多くの人が考えるようになりました。これほどひどいことはありません。気候変動だけじゃありませんよね。それでも先進国といって文明礼賛です。

人間はこれだけ文明を発展させてしまったので今すぐ文明を捨てることはできません。しかし文明は人間の本質ではない、アダムとイブの罪によるものと知って、未来への方向性を考え直さなければいけない時に来ていると私は考えます。

特に世界の先頭を進んでいると考えている西洋人が価値観を変える必要があります。私はそれが可能だと思っています。何故かというとイエス・キリストがはっきりと文明を否定しているからです。(続く