kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

悪について

前回、無というものをただ単に何にもないことと考えるから神の根本的な心、あわれみの心を考えることができないと言いましたが、悪の問題も同じです。

キリスト教はアダムとイブが禁断の果実を食べたことにより悪が行われるようになったとしていますよね。これは事実だと私も思います。ある時代から戦争、略奪、差別、いじめ、強欲が盛んになったことははっきりしているので人間は何か罪を犯したのでしょう。

ただキリスト教は全知全能で善でもある神が悪を創造するのはおかしいとの判断からでしょうか、自由意志を与えられた人間がある時その自由意志で禁断の果実を食べてしまったので悪が行われるようになつたとしているようです。それでも、悪が存在することを認めたくないのでしょうか、高位の教父が「悪とは善の欠如のことである」のような奇妙な表現をしています。

大乗仏教は悪の元になる様々な心は潜在意識の中に初めからあるとしていますから説明がつきます。潜在意識の中にあること自体は悪ではありません。悪というのはたとえば暴力、差別、憎しみなどの他を排斥する迷いの心を意識の世界で実現してしまうことです。

あるいは他より優れた存在でありたいと自我に執着したり、貪欲に必要以上に色々なものごとを求めることが悪なのです。

多分人間は罪を犯したことにより、神や宇宙についての真理を知る能力を失ってしまったのです。太古の人たちは誰もが正しい生き方などを知っていたのだと思う。

私も長いこと人生に意味などないと生きていましたが45才から仏教を学び始めやがて大体の「生きる意味」を知ることができました。それをこのブログに書きましたので是非試しに読んでみてください。第一話から第四三話までです。

https://kosame21.hatenablog.com/entry/2021/09/07/124900