kosame21のブログ 人生の目的

なぜ生まれなぜ死んでいくのかは決して永遠の謎ではありません。仏教はそれを説明しています。その具体的な説明を第一回「人生の目的」(2021.9.07)から第四十三回「新しい時代に向けて」までに書きました。どうぞ読んでみてください。

ユダヤ人はなぜキリストを憎んだのか

イエス・キリストはなぜ当時の多くのユダヤ人から憎まれたのか。律法学者やファリサイ派の人々は何回も批判されていたから憎んで当然ですが、一般の民衆もかなり多くが彼を憎んだようです。

様々な奇跡を行ない多くの民衆を引きつけ、エルサレムに入る時には大群衆がイエス・キリストを祝福したとあります。彼を待望のメシアと認めて歓迎したのでしょうか。しかしその後かなりの人たちがキリストから離れてしまったようです。なぜでしょうか。

いくつか原因があるのでしょうが、一番の原因はユダヤ人の上層階級の人たちだけでなく一般の民衆に対してもイエスは「モーセの律法は神からのものではない、悪魔からのものだ」と示したからではないかと私は思いました。

決して単なる憶測ではなく福音書にも書いてあります。ヨハネによる福音書8です。

「あなたたちは、悪魔である父から出たものであって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。、、、、あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」

当時のユダヤ人は誰もが自分たちを神から選ばれた特別な民と認識していたのですよね。それに対してキリストが「あなた方の父は神ではなく悪魔である」と言ったので多くのユダヤ人がかれを憎んだのでしょう。

とりわけ律法学者やファリサイ人は律法に熱心で自分たちは神に一番近い存在であると誇っていたでしょうね。それをあなた方が神から一番遠い存在だと言われたので、強い殺意を抱いたのだと思われます。ソクラテスに皮肉っぽくやり込められただけでも憎んで死刑にしようと思う人がいたぐらいですから、イエス・キリストの場合はその比ではないと言えるでしょう。

今の新約聖書にもモーセや律法を比較的肯定的に表現しているところがあるようですが、私もマルキオンと同じように改ざんされたのではないかと疑っています。あの時代印刷機械など無く書き写すわけですから、悪意を持って書き換えることはあり得るのではないでしょうか。クリスチャンになりすました人間もいたでしょうし。大乗仏典にも改竄されたと思われるところがあります。

よく正典の一言一句もおろそかにしてはならないと言われますがその通りだと思います。何気ない表現にも深い意味が隠されていることがかなりあるからですよね。

一言一句に霊感が秘められているということも言われますが、私はこの考え方には反対です。なぜかというと悪意の人間の思うつぼだからです。自分の価値観を否定していることを憎み何とか書き換えてやろうと思う人はいただろうと想像します。なので正典の言葉全部を真理の言葉とするのは間違いだと思う。法華経という仏教の大経典にも改ざんされた形跡があります。