神はなぜ隠れているのかについては前に法華経の如来寿量品を通して説明しました。
子供である地上の生きとし生きる者達に渇仰の心を生じさせるためです。信仰の心、悟りを求める心を起こさせるためで、可愛い子には旅をさせよです。
またこの章には名医のたとえ話がありました。毒を飲んだ子どもたちが薬を飲もうとしないので、父親が死んだと見せる。子どもたちは父が死んだと聞いて悲しみ、薬を飲みなさいと言っていたことを思い出し、薬を飲んで毒の病を治した、という話です。
そしてこれは誰かが赤ちゃんとしてこの世に生まれてくるときのことを言っていると私は説明しました。赤ちゃんが生まれてくるときに神が隠れる、死んだと見せるということです。信仰の心を起こすように。
この法華経如来寿量品と基本的に同じ内容のものが「荘子」にあると言ったら驚く人が多いのではないでしょうか。私見であり確信的とまでは言えないのですが、結構面白いので検討してみてください。
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南海の帝がシュクであり、北海の帝がコツであり、中央の帝が渾沌である。シュクとコツとが、ある時渾沌の地で出会った。渾沌のシュクとコツへのもてなしは大変良かった。(そこで)シュクとコツは渾沌の恩義に報いようと相談してこう言った。「人は皆七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしています。(ところが)渾沌にだけは(七つの穴が)ありません。ためしに穴をあけてあげましょう。」と毎日、穴をひとつずつあけていつたら、七日目に渾沌は死んでしまった。
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あの有名な「渾沌」という章です。穴をあけていったらというのが神が人間に変身していく様子で、渾沌が死んだというのが神が隠れるということです。大乗仏教は一切衆生悉有仏性ですからどの生き物も仏の変化身です。永遠のブッダ=渾沌=中央の帝です。南海の帝と北海の帝は大乗仏教の普賢、文殊とか観音、勢至などの大菩薩に当たるのではないでしょうか。