私がアダムとイブが犯した罪について前回書いたような仮説を思いついた理由は、宗教に関しての私の見解やキリスト教への疑問点などがいくつか重なったからです。
「文明は人間の優れた特性ではなく、アダムとイブの罪によるもの」「イエス・キリストも文明をバビロンの大淫婦(偽の女神)にたとえて否定している」「バビロンはチグリス川、ユーフラテス川の近くであること」「旧約の冒頭にある【地に満ちて地を従わせよ。、、、生き物をすべて支配せよ。】のことば。神がこのようなことを言うわけがないとの思い。ある旧約本には、地を服従せしめよ、とあった。」「モーセやヨシュアの神はキリストの神とあまりにも違う」「マルキオンという初期クリスチャンが【旧約の神とイエス・キリストが示す神は違う】と言っていたこと」などです。
マルキオンという人はキリストの十字架から約100年後に教団を形成した人でルカ福音書とパウロの書簡を拠り所にしたそうです。そして旧約の神とイエス・キリストが示す神は違うと言って、パウロの書簡もすでに書き換えられたところがあると見て自分で直したりしたそうです。
彼の主張は正統派に受け入れられず、批判され異端とされてしまった。その批判の一つに「イエス・キリストが示す神は創造神ではないと言うのか」のような意味の言葉が残っているそうですが、マルキオンはそんなことは言っていないと思う。
またマルキオンはグノーシス派とも違うと思う。グノーシス派はこの天地の創造神は下級の神でイエス・キリストの神はそれとは別の至高神としていますよね。
マルキオンはイエス・キリストの神を創造神と考えていたに相違ないと思われる。彼の正式な言葉は一つも残っていないのに何故そう言えるかというと、彼の一番の高弟の正式な言葉が残っていることです。それによるとその高弟は「旧約の神は創造神ではなく天使の一人」と言ったとのこと。
マルキオン派は異端とされた後もかなりの期間存続したがやがて消滅してしまったようです。(続く